「黄瀬って、もう進路決めた?」
 放課後、自在箒に顎を乗せて黒板に張られた掲示物を見ているところに、クラスメイトが話し掛けてきた。
 人の顔と名前は必要ない限り覚えないタイプだと自負しているが、彼のことは薄らと覚えている。クラス委員だった筈だ。
 考えあぐねて黙り込んでしまうと、返事を待たずに彼は「俺は全然でさあ。大学進学って漠然とは考えてるんだけど」と言う。
 掲示物には面談の日程が書かれていて、日割の他に『進路希望が未確定の者は別紙の希望調査票を持ち込むこと』と表記されている。かくいう自分もその一人だ。
「まあ、進学はした方が良いのかもしれないっスね」
 「頭の良いクラス委員さんは進路選択がいっぱいあるのだろうけれど」という嫌味は寸でのところで飲み込む。少し前に行われた模擬試験で、彼がクラス内三本指に入る成績を収めたのは、周知の事実だ。生憎運動ほどに勉強のできない自分に、そんなクラス委員が進路の話題で話し掛けたということは、馬鹿にされているという認識以外の持ちようがない。それを受け流すだけの余裕は持ち合わせていたので、適当な返答をした。
 しかし、その返事と同じように、進学や進路自体まで、いつまでも曖昧にする訳にはいかない。
 進学すべきか就職すべきか。その選択でさえも未だに思い悩んでいた。モデル業かバスケか、そのどちらかで揺れる思考がある。
 今でこそバスケを優先しつつモデル業も行っているが、そろそろ白黒はっきりと付けなければならない。個人的にはバスケを取りたいが、青峰の後を追いたい一心でそれを選択することも気が引ける(勿論、自分が初めて生きがいを感じたスポーツであるということも充分な選択要素となり得るが)。
 かといってモデル業を選択してしまうと、それで衣食住成り立つのかどうかが不安であるし、何より青峰との縁を切ってしまうことになる。
 それならば明らかに前者を選ぶべきだと言われるだろうが、踏ん切りがつかないのは、メディアに囲まれた煌びやかながらも暗い影のある世界に長く留まり過ぎ、情が移ってしまったからだ。
「そもそも進路がどうこうなんて、まだ考えたくねーっス」
 夏休み直前の話だった。



 高校最後の夏休みに、元帝光中バスケ部レギュラーメンバーで集まろうと話を持ちかけた。
 一年の頃はギスギスとした関係だったし、二年はバスケに打ち込みすぎだった。久々に仲良くはできないだろうか。高校最後の夏に思い出を作りたい。
 そんな理由を次々と並び立てたところ、黒子を筆頭に、キセキの世代の誰もが了承の意を示した。緑間の肯定の仕方の分かりにくさと言ったらなかったが。
 何をするかまでは決めておらず各々に希望を募ったところ「夏祭りに行きたい」「食べ放題に行きたい」「パワースポットを巡りたい」「バスケをしたい」と様々だったが、全員都合の良い日にたまたま花火大会が行われることから、そこへ足を運ぼうという話で落ち着いた。
 夜の花火大会よりも随分と早い時刻に待ち合わせを言い渡された。果たして時刻を定めた赤司は何を考えているのかと思えば、ボールを片手に、昼の間はバスケをするのだという。
 花火大会だとはしゃいで浴衣を着てしまった事を後悔する他にない。緑間も同じく深緑の浴衣を身に纏っていて、抗議の声を上げた。
 それでも一度ボールに触れてしまえば、浴衣かTシャツかなんて、些細な問題である。1on1や、メンバーを入れ替えながらの3on3でのボールの取り合いに誰もが歓声を上げた。
 中学時代と同じように青峰と勝負をしていれば、そこに黒子が入り、情けなく青峰とぶつかる。その拍子に転がったボールを紫原が拾い、赤司へパスを回し、不服そうな声を上げる自分を弄ぶかのようなボール捌きをされた後、緑間がシュートを打つ。
 次第に日は暮れ、ストバス場では 暗くなるにつれてどうしてもボールが見えにくくなる。自然とバスケをする手は止まり、そこで「着付け直したいからちょっと待ってて欲しいっス」と声を上げた。
 そもそも浴衣を着てくるのが悪いのだと青峰が悪態をつき、黒子が溜息をつき、紫原は口内にスナック菓子を頬張る。一方で、緑間も同じく「俺も少し乱れたので直したいのだよ」と言い出し、赤司はよくわかっていたとでも言いたげに「出来なければ手伝うからね」と声を掛けた。
 緑間も自分も、公衆トイレで着付けをしたのだが、その間にも聞こえてきたドリブルの音やシュートの音に、浴衣なんて着なければよかった、と心底後悔したのは今更ながら言えなかったのである。
 結局殆どを赤司に手伝ってもらい、終わった頃には、もう日が落ち込んで、あたりが薄暗くなっていた。
 ストバス場から、誰が言うでもなく移動をしようと片付けを始める。着付け前に片付けを済ませてしまい暇だったので、真っ暗な空を見上げた。都会の光に紛れて星は見えない。しかし、小さな破裂音と共に、空に明るい光が映り込む。
「少し遅かったみたいだね」
 赤司が呟いたと同時に、空の少し遠いところで光ったのは、花火だ。
 本来ならば電車で一駅移動し、どこよりもよく見える場所で見たかったのだと赤司と緑間が言ったが、時間は時間である。仕方なく、近場の公園へ移動して見ることにしようと、歩いて五分ほどの距離を、空を見上げながら歩いた。
 歩く度に聞こえる音と開く花に、誰の視線も釘付けだった。普段風情のあるものに無頓着な青峰でさえ、黙って空を見上げている。誰も声一つ洩らさなかったところに、黒子が「もうすぐ夏も終わりますね」と呟いた。
 重苦しいとも、息が詰まるとも言えない雰囲気に、押し潰されそうになる。これが高校最後の夏なのだ。
 誰もが押し黙ってしまう雰囲気に何を思ったのか、紫原は手提げの鞄の中から何か大きめの袋を取り出した。街灯に照らされて所々きらきらと包装が光るそれは、どうやら手持花火のセットらしい。
 急に気分が高揚して紫原にぐっと近づき、感嘆の声を上げる。まさか紫原が用意しているなどと思ってもいなかった。
 じゃあ配るね、と包装をバリバリと、菓子の袋を開けるのと同じように開く。色取り取りの花火が一人一人に同じ本数ずつ渡されていき、自分の手元にも渡った。記憶の中にある花火よりもずっと小さく感じるが、その分成長したということなのだろう。何せ、最後に花火を手にした記憶があるのは、小学生の頃の話だ。
「花火なんて何年振りだろう。青峰っちは最後に花火したの、いつっスか?」
 青峰は少し逡巡した。頭を掻き、あー、だの、おー、だのと呻いている。それがどうにも不思議で、名前を呼んで顔を覗き込むと、青峰は突然手首を掴んだ。あまりにも唐突で心臓が大きく脈打つ。なんスか、と聞く間もなく、青峰はそのまま走りだした。
 遠くの方で緑間が自分たちを呼びとめる声が聞こえる。振り向くと、黒子は眉をハの字に曲げていて、紫原は呑気に手を振っていた。赤司はただこちらを見つめている。
「ちょっと青峰っち、皆困ってるじゃないっスか」
 声を張り上げて青峰を止めようとしても、青峰はまだ走る。また振り向けばもう四人の姿は視界に捉えるのは難しく、ただ足を縺れさせない様に青峰の後を追うだけで必死だった。
 そうして着いたのは、空き地らしい場所で、遊具も何もない更地だ。青峰はそこで足を止め、ズボンのポケットから、蝋燭とライターを取り出す。
「赤司に借りた」
 言いながら蝋燭の芯に火を燈して、先程紫原から受け取った花火に火を点ける。
「なんで態々皆と離れたところでやるんスか」
 渋々腰を下ろしながら、同じようにして花火に火をつける。ぱちぱちと音を立てて光るそれに目を細めた。
「二人でいたかったから、じゃ駄目なのか」
 愛の告白の様な声色で言われてしまい、途端に喉から言葉が出なくなる。つくづく青峰はずるい男だと、俯きながら思った。
 暫く光を見つめていれば次第に火の量が減り、火薬の匂いだけが残った。何時の間に用意されていたのか、背後に置かれているバケツの水へ、火の消えた花火を放り込む。入れた瞬間水がぶくりと小さく泡立ち、音を立てながら花火の先が黒く沈んでいく。
「青峰っちはさ、進路決めた?」
 ふと脳内に、夏休み前、クラス委員の言葉が蘇る。同時に口を衝いて出た言葉に、青峰が考えている訳がないと、尋ねた自分に苦笑が漏れる。
 だが、青峰は明確な答えを持っていた。
「アメリカ」
 え、と息が漏れるのと同じように、声を漏らす。それは彼が答えを持っていた事実に対しての驚きも込められていたが、それより、彼の口から零れた遠い異郷の地の名前が、脳内を反芻する。
 てっきり青峰は、日本でバスケを続けるとばかり思っていたのだ。それは青峰の思考を考慮した上で、と言うよりも、自分の願望なのだが。
 それにしても、高校卒業と同時にアメリカへと発つのは、あまりにも決断が早過ぎる。
「アメリカでバスケ、するんスか」
 返事はない。
 仕方なくもう一つ花火に火を付け、また光を見た。
 青峰がアメリカへ行ってバスケをするのであれば、果たして自分がバスケを日本で続ける理由など、あるのだろうか。憧れを捨て、青峰を超えるためにバスケを続けてきたというのに。
 彼が渡米してNBA選手としてバスケを続ければ、確実にバスケ史に名を残す選手となるだろう。そのままここへ戻ってくることはなくなるだろうけれど。そう考えて、自分がバスケを続ける理由を失ってしまうのだと、胸に穴が開いた。
 そうなった時、果たして青峰は、ここに、キセキの世代の中に帰ってくることは、あるだろうか。
 ……そもそも、自分がキセキの世代の名を捨てるのだ。バスケに身を焦がす理由など、高校生活が終わってしまえば、もう無くなるのだから。
「青峰っちが海外に行けるほど、英語は堪能だと思わないっスけど」
 頭に溢れる思考を押しのけて押しのけて、ようやく皮肉を声に出す。しかし青峰は何も言わない。普段であれば、怒ったようにふざけるなと笑って、髪が乱れるくらい、頭を撫でてくれる筈なのに。



 花火が落ちた。バケツの中に放り込むと、焦げたにおいが鼻に付いて離れない。
 青峰を見ると、目が合う。暗闇の中でも彼との視線は違えようがなかった。
 立ち上がり、手を引かれる。それでも、ここまでとの道程とは違い、彼が成すままにはなれない。花火をバケツの中へ落とすと、煤で澱んだ水の底へと沈んでいく。
「帰ろう」
 夏の終わりだった。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -